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第5日 横須賀〜久里浜(その1)

                      歩いた距離 14.4km  2002.03.03

 今回は浦賀道の終点の浦賀まで行き、できれば足を延ばして久里浜まで行きたいと思い、
京急横須賀中央で下車する。

 駅前の飲屋街の中に諏訪神社がある。

 ここの狛犬は左右ともアで、頭が大きくドングリ目の大正9年(1920)の「江戸くずし」である。
尾が広がって流れているのが特徴で、石工は高橋長蔵である。

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左・ア

右・ア

 京急の線路をくぐって、商店街の平坂を上り、高台にある横須賀市の博物館に行く。
三浦半島の自然と人の歴史を展示している。

 嘉永6年(1853)にペリーが浦賀に上陸したこと、慶応元年(1865)に開設された横須賀製鉄所
の展示など維新直前の動きがわかる。

kanas5-04.JPG kanas5-05.JPG  前庭に横須賀製鉄所(造船所)建設の推進役であった
小栗上野介と栗本鋤雲の銅像が立っている。

小栗上野介

栗本鋤雲

 司馬遼太郎の「明治という国家」によれば、横須賀製鉄所(造船所)は当時の世界的レベル
であるフランスのツーロン港の規模に近いもので、フランスから莫大な借金をして建設した
ものである。 
 ようやく工事の目鼻がついた時、上野介は鋤雲に「あのドックが出来上がった上は、
たとえ幕府が亡んでも『土蔵付き売家』という名誉をのこすでしょう」といったという。
幕府の命脈が尽きることを知っていた小栗は、ドック建設に幕府の名誉をかけたといえる。

 このドックは、「明治国家の海軍工廠となり、造船技術を生みだす唯一の母胎となった」
のである。

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 京急線を越え、16号にでる手前に
「小田原北条家の浜代官を勤め、
江戸時代には三浦郡の総名主であった」
永嶋氏の長屋門がある。

 その門の前に、右浦賀と書かれた
円柱の道標がある。

 16号の一本山際の道が浦賀道である。

 春日神社がある。

 鳥居脇に、大型の昭和11年(1936)の「唐草尾下りしょうわ」の狛犬がいる。
尾が上がっていて、波状に背に沿っているのが特徴である。

 本殿の前には明治29年(1896)の「江戸くずし」狛犬
耳が大きく、尾が上がってから下に垂れているのが特徴。
右ウンが左前脚で、違い鷹の羽の家紋がある筒を押さえている。
日清戦争凱旋の記念のものである。

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 神輿が保管されている建物の前に、かえる腹で太った「江戸はじめ」狛犬がいる。
右からウン・アで頭は小坊主のようで、尾は背にぴったりとついている。

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kanas5-14.JPG  一定の幅で緩く曲がっている浦賀道を行くと
「いぼ地蔵」といわれている砂坂地蔵がある。
その脇に一石2段の六地蔵がいる。

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 京急大神駅の踏切を越えると真楽寺

 坂本龍馬の妻龍子の墓がある。
「竜馬が死去した後は各所を転々とし、
明治39年(1906)にこの地で亡くなった」という。

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